67回目の原爆の日に思う

67回目の原爆の日を迎えた。広島県ではテレビ各局がライブで放送しているが、広島県では当たり前のことだが、考えてみれば京都育ちの私には京都でこのような放送が30分もライブで放送されたことは記憶に無い。
8時15分には私も1分間の黙祷をささげたが、毎年思うのが何故こんな大切なことが広島県だけなのか?である。単純に考えても十数万人の命が奪われたこの日に自然と手を合わせたくなるのは当然のことで、いろんな式典の開催には賛否両論があるが、私は日本の国民が全ても黙祷を捧げていいのではないかと思っている。また全国にこの30分は放送され、忘れては成らないこの惨事、2度と繰り返さない戦争のことを思うこともいいのではと思う。勿論理屈抜きである。
私は毎年黙祷を捧げるが、その1分間にもしわが肉親が…もし我が子であればこんな辛いことは無い、もし…と何時も思うのだが。そう考えると自然と胸が一杯になり、祈りを捧げるのである。私は戦争の経験も無いですし、原爆のことも本当には理解していないかもしれないが、昨年の3・11に国民全部が安らかにと手を合わせた同じ気持ちで、手を合わせるのは自然のことです。AKB48の総選挙を1時間以上中継するのも結構だが、日本人としてこの日のことを関西の人はそこまで知らないし、勿論関東の型も知らないわけで…AKBのような視聴率は出ないが、今の日本に欠け始めた心を少しでも広島から…と思う。
それにしても今年の松井広島市長の挨拶は素晴らしかった!野田総理のただの原稿棒読みで全く気持ちがこもっていない挨拶とは大違い、福島原発にも踏み込んだ挨拶は形だけで終わっているものとは違い、聞いていて「オッ!」と思ったのは私だけではないだろう。
なんて今日は真面目だけの日記になりましたが、原爆の日ですからね。