思い出深い高校の先生

私のこの日記の中のCMに「中高年男がピンピン、高麗人参」のCMが入っています。逞しく硬かったあの日々が蘇る!とのこと、なんで私の日記の中に入るの?まるで私に対する嫌みかな?でもなんで私の実情がばれているのでしょうか?まあそんなことはさておき随分と涼しくなってきました。今も庭から虫たちの鳴声が聞こえてきます。今日の福山市の最高気温は32度、本当はこれでも真夏の暑さなのですが、それまでが35〜6度もあったので、32度がとても涼しく感じられます。朝池を洗って水替えをしても汗がぽたぽた落ちなくなりましたし、途中で休憩をしなくて良くなりました。らんちゅうたちも次第に仕上がりを見せるようになり、少しづつ期待が高まっております。小鳥たちもハアハアと口を開ける事もなく、そろそろ繁殖の行動を見せるようになりました。ただ今年はコキン鳥の落鳥が目立っています。今までこんなことは無かったのですが、やはりあまりの暑さで体力が弱っていることも関係があるかもしれません。
今日はちょっと寂しいと言うか残念と言うか、そんなことがありました。私は京都の平安高校ですがそのときの担任が安藤先生でした。ひ弱で大人しい先生でしたが、悪だった私のことを本当に心配してよく怒られたものでした。一度殴られたことも思い出として残っています。しかし高校の先生はその後直ぐに辞められ、尾鷲市の実家の光円寺の住職になられたわけで、それから尾鷲市の市会議員になられました。私とはその後もお付き合いを頂き、いまだに年賀状のやり取りも。
確か27歳のときに尾鷲に尋ねたのですが、その時の宿泊代も払っていただき、久し振りに話をしました。私の出版物のタイトルも毛筆で書いていただいたことを覚えています。
今年は年賀状が来ませんでしたので、おかしいなと思っていましたが、今日何の気なしに三重県尾鷲市の市議会のホームページを開いてみました。すると「安藤市議のご冥福を祈ります」のタイトルが目に飛び込んできました。写真を拝見しますとお年を召されたのは当然ですが、細くて病弱な先生の面影を見つけました。高校からもう40数年、亡くなった先生のことをゆっくりと思い返ししばし時を過ごしました。私の人生でただ一人記憶に残っている先生でした。もう一度だけは会いたかったですが残念です。私も先生を送る歳になったと言うことでしょう。心からご冥福を祈ります。